ジョン・レノン(1940〜1980)
ポール・マッカートニー(1942〜)
ジョージ・ハリスン(1943〜)
リンゴ・スター(1940〜)
ジョンの声は独特だ。鼻にかかったどこか悲しげな声。彼は幼いときに船乗りの父親が失踪しずっと母の姉に育てられた。外では手のつけられないほどのいたずらっ子だったが、家の中にいるときは、ルイス・キャロルやジェイムズ・ジョイスの小説を早くから読んで空想の世界に心を飛ばせていた。クォリー・バンクという男子校に入ったジョンの成績は学校中で20位以内をキープしていた…もちろんそれは下から数えての話だが。15歳のとき、アメリカから新しい音楽の波がリバプールにまで押し寄せてきた。エルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」はジョンに取って神のお告げのようなものだった。手探りで歩いていた暗闇の中に一本の明るい道があらわれ、ジョンはザ・クオリーメンというバンドをつくって歌いはじめた。
ポールはもともとギタリストだったので彼の左利きのベースはとてもメロディアスだ。新しいものを自分なりに吸収する才能に恵まれ、バンドの中の楽器ならなんでもプレイできた。14才の時、母親のメアリを癌でなくしたポールは、父親が誕生日にプレゼントしてくれたトランペットを街の楽器店へ持って行き、安物のギターと交換した。学校の成績は優秀でリバプールでは名門のグラマースクールへ通った。彼の前には明るい未来への道筋が何本も見えていたのだが、ある日、腰をくねらせながら唄うエルビスというアメリカ人がやってきたその時に明るい将来の道には幕が下ろされた。アイヴァン・ボーンという友だちにウォールトンの村祭りで、イカしたバンドが唄っていると誘われた15歳のポールは自転車に乗って出かけて行った。
ジョージはポールやジョンと比べると普通の人間だ。ジョンのような直感的な才能や、ポールのように夢の中で流れてきた曲が「イエスタディ」だったと云うようなことはなかったけれど、最後のアルバムに収録されたジョージの作品「サムシング」はポールの「イエスタディ」に次ぐカバーを記録した名曲である。ジョージとポールは通学バスの中で知り合った。制服が一緒だったから、同じ学校へ通っていることが分かり、すぐに仲のよい友だち同士となった。すでに自分のギターを手に入れ、兄と彼のの仲間で、ザ・レベルズというバンドを組んでいたジョージは、通学バスの中でギグの話をポールに話していた。ポールがジョンのバンドへ入ってから半年ほど経ったある日、ジョージはジョンの前で当時流行っていた曲「ローンチー」を弾いて見せた。
リンゴはシンプルだけど素晴らしいドラマーだ。リンゴのドラムなくしてはビートルズのサウンドは成り立たないのは、彼らの残した数々のセッションを聴くとよく分かる。ビートルズの中で最も貧しい環境に育ったのがリンゴだった。幼いときに両親が離婚し病弱だった彼は、少年時代のほとんどを病院のベッドで過ごした。彼がたまに学校へ行っても、誰もリンゴの顔を覚えていなかった。100ポンドのドラム・セットを養父から借金して買ったリンゴは地元のロリー・ストームのバンドへ加入する。バンドはリバプールでは一番の人気バンドとなっていった。リチャード・スターキーは指輪を4本もはめていたので芸名をリンゴ・スターとした。ハンブルグの巡業から帰ってきて将来のことを考えていたとき、一本の電話が鳴った。ジョン・レノンだった。