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THE MADCAP LAUGHS SYD BARRETT(1970) |
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ピンク・フロイド結成時からセカンド・アルバムのレコーディング中に忽然と姿を 消してしまうまでシド・バレットはバンドの核となるソング・ライターでした。 初期のシングル「アーノルド・レイン」や「シー・エミリー・プレイ」は彼の作品で、 夢の中を浮遊しているようなメロディー感覚や空虚なヴォーカルが印象的です。 1966年、ピンク・フロイドのプロジェクターを使った色んな物体をステージに投射する ライト・ショーはマーキー・クラブやUFOなど当時ロンドンの若者のスポットで 大きな話題となり、彼らはすぐさまレコード契約を交わします。 シドのペンによるファースト・シングル、セカンド・シングルともにチャートの 上位を記録し、ピンク・フロイドはアビー・ロード・スタジオで ファースト・アルバムの製作を開始。ちょうどこの頃、隣のスタジオでアルバム 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を製作していた ビートルズとは幾度となく遭遇していたようです。 ファースト・アルバム「夜明けの口笛吹き」を完成した彼らですが、 プロモーション活動のため自分たちの意にそぐわないポップ番組に出されたり グルーピーにプライベートな場所まで追いかけられたりと メンバーの中でも人一倍神経質だったシドは 次第に消耗し、ますますドラッグの深みへとハマって行ったのでした。 シドの奇行はピンク・フロイドのアメリカ公演で顕著に見られるようになります。 テレビ番組で口パクで唄うところを何もせず呆然と立ちつくしていたり、 司会者の質問をまったく無視したりして、マネージメント側を慌てさせ 結局この公演は途中で打ち切られバンドは帰国させられたのでした。 シドは本国のステージでさえもまともに演奏が出来ない状態で 演奏中じっと観客を見つめているか、狂ったチューニングのまま全く関係のない コードをかき鳴らしているだけでした。バンドの将来を危惧するメンバーは ギタリストのデイヴ・ギルモアへ電話を掛けメンバー・チェンジを行います。 実質上、バンドを追い出されたシド。レコーディング・セッションの日にスタジオへ やって来ても受付で拒否される始末で、彼は寂しく去って行ったのでした。 しばらくしてステージでギターを弾くディヴ・ギルモアを戦慄させたのは 最前列からかつて自分のいたその場所に今や、違うギタリストが立っている姿を ゾッとするような視線で睨みつけているシド・バレットの存在に気づいたからなのでした。 シド・バレットのファースト・ソロ・アルバム「帽子が笑う……不気味に」は 彼がピンク・フロイドを去ってから、1年あまり経った頃に録音されたもの。 ゆったりとしたバッキングに眠気をもよおすシドのヴォーカルがアルバム全体を 漂い、遊びに飽きた子供が玩具を投げ出すような危なっかしさに満ちています。 シドの唄は速くなったり遅くなったり、途中でちがう方向へ意識が飛んだり それでも決して退屈でないのは彼の持つすぐれたメロディ・センスのおかげでしょう。 「カメに捧げる詩」や「タコに捧ぐ詩」の素晴らしいこと! シド・バレットはこの後、もう1枚アルバムを発表した後、再び姿を消します。 そして1975年、ピンク・フロイドが「狂気」の爆発的なヒットによりモンスター・バンドに なった頃のこと、フロイドのメンバーがあまりにも巨大な成功に戸惑いながら、 次のアルバム「炎 あなたがここにいてほしい」の録音をしていると 体重が100キロはあろうかという頭の禿げ上がった男がひょっこりスタジオに現れ、 フロイドのメンバーにこう云ったと伝えられています。 「ところで、ぼくのパートはどうしよう?」 |
