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●パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト 上映時間156分とファミリー向け娯楽映画にしては長めだが、そこそこテンポも良く最後まで飽きずに楽しめた。今回はドタバタ調のコメディを見せる場面が結構あって、子供の頃にこういうのをTVで見て大笑いしたなあと懐かしい気分になった。サイレント時代のコメディやディズニーではないが『トム&ジェリー』、『ウッディ・ウッドペッカー』、『バックス・バニー』等々、全てを巻き込んで追いつ追われつするカートゥーンアニメでお馴染みのパターン。酔っぱらいとロッカーとドラァグクイーン(長い裾の女性用ドレスを引きずるイメージから、男性同性愛者の意。ドラッグクイーンとも)がミックスしたジョニー・デップ扮するキャプテン・ジャック・スパロウは本作でも大活躍を見せる。だけど私にはどこか過激になりきれず一歩引いて演じているように感じられたのはやはり子供を意識してのことだろうか。今回の敵は海の底で腐敗した人間の全身からチューブワームが生えたような、奇っ怪な風貌をしている、幽霊船『フライング・ダッチマン』の船長ディヴィー・ジョーンズだ。この映画に私の好きな俳優ビル・ナイが出演していると聞いて楽しみにしていたが、まさか彼がディヴィー・ジョーンズ役だったとは!ビル・ナイはアクの強い性格俳優で、往年の人気ロック・バンドが十数年の時を経て、再び再生するまでを描いた英国映画『スティル・クレイジー』でヒットに恵まれず大邸宅でひきこもり状態になった中年ロッカーを演じているのを見てファンになった。ビル・ナイはものすごいメイクをしているわけだが、それでもすぐにビル・ナイだと分かるところがすごい(鼻がないのに鼻を鳴らして拗ねるような彼独特の仕草が笑えた)。ディヴィー・ジョーンズは巨大なイカの化け物『クラーケン』を従えており、本作はこのクラーケンとジャック・スパロウ率いる海賊船『ブラックパール号』との対決シーンが見せ場の一つ。ものすごく巨大な雰囲気を出す撮り方はスピルバーグの『宇宙戦争』で見せた高速道路の破壊シーンを思い起こさせる。いっぽうで、特撮モンスター映画の古典的な手法も使っているようだった。前作では鍛冶屋の見習いで、まだ少年ぽさを残していたウィル役のオーランド・ブルームも逞しく成長していたし、ヒロイン役のエリザベスを演じるキーラ・ナイトレイは荒くれ者の船乗りたちに混ざって男装し、「この船には女が乗っているような気がする…。男にはわかるんだ」という船乗りの言葉には「丸わかりやん」と苦笑したけれど、彼女がジャック・スパロウを誘惑する場面などは、なかなかのものだった。映画として全体に夜の場面が多く、見づらい個所を散見した。エンドロールをラストまで見ていると犬好きにはたまらない?おまけが登場する。シリーズ化されたことで、前作を観ているとさらに楽しめる。ジャック・スパロウは頭にキャプテンをつけて呼ばれることにこだわっている。ちょっと澄まして「Savvy?おわかり?」というクセ等々。尚、本作と連動して第3作の撮影もされており、来年5月公開の前売り券がすでに売っていたのには驚かされた。 |
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●ダ・ヴィンチ・コード 序盤から暫くは原作のダイジェストを観ているようだった。映画なのでキリスト教の歴史やダ・ヴィンチの名画に隠された謎、オカルトめいた教団の背景などを詳しく説明している時間はなく、サクサクとストーリーが進んでいく。原作を読んだ人には分かりやすいけれど、この映画を予備知識なく初めて見た人は、半分くらい、ちんぷんかんぷんだったのでは?膨大な内容を2時間半の映画にまとめ上げた監督の苦労が忍ばれる。最初は違和感を覚えたトム・ハンクスのハーバード大教授やヒロインの暗号解読官を演じるオドレイ・トトゥも1時間ほど経つとだいぶ慣れてきた。特にオドレイの独特なくぐもった声や黒めがちの瞳に暗い影が射す表情は、監督が彼女を指名したのも納得。トム・ハンクスはいかめしい表情を作れば作るほど、元のひょうきんさが顔に現れてちょっと吹き出しそうになった。フランスが舞台の作品だから、取りあえずジャン・レノでいっとこ、みたいなハリウッドのキャスティングは鼻につくが、漫画みたいなジャン・レノの風貌は彼以外には考えられなかったのかも知れない。色素欠乏症の狂熱的な修行僧シラスは登場した時点で思いきり怪しく、スター・ウォーズのダークサイドの親玉じゃないんだからと思った。映画に重厚感を与えていたのは、名優イアン・マッケランだ。映画の後半、サー・イアンの見せる様々な表情の演技は素晴らしいの一言。クライマックスで繰り返される音楽も気分を高揚させられ雰囲気を盛り上げていた。 |
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●ピンクパンサー ピンクパンサーといえば”ドジでマヌケ”だけでは一括りには出来ない、とても危うく、そしてとても危ない性格のクルーゾー警部が大活躍するシリーズで知られているが、本作は60年代〜70年代にイギリス俳優の故ピーター・セラーズが演じたクルーゾー警部をアメリカ俳優スティーヴ・マーティンが引き継いだリメイク作。クルーゾーのどこが面白いのかといえば、本人はいたって真面目で極めてプライドが高いのだが(極めて鈍くさくもある)、クルーゾーの回りの人間と完全にペースがずれているので、クルーゾーが行く先々で何をしでかすのか、些細なこと、たとえば机の上のペンを取るといった事にまで観客は集中し、そして必ず何かが起こり、予想外の大ドタバタ劇へとつながる場面に観客は大笑いさせられるところにある。プロローグ的な冒頭の場面が終わるとヘンリー・マンシーニ作曲のお馴染みのテーマソングが流れ、ピンクパンサーとクルーゾーが追いつ追われつするアニメーションが始まる。本作ではアニメのクルーゾー警部がスティーヴ・マーティン風にイメチェンしていた。スティーヴ・マーティンのクルーゾー警部は、ピーター・セラーズの何かに追いつめられた風な神経質なところは少なくて、大らかでチャーミング。NYで捜査を始める前にフランス訛りを治そうと英会話スクールへ通い、涙ぐましいまでに練習をするのだが、この場面は涙が出るほど可笑しい。アメリカの食べ物はクソだと言い放ちながら、一口食べたハンバーガーに身も心もとろけさせるクルーゾーも可愛かった。クルーゾーの部下にジャン・レノが扮し、真面目でノーマルな彼はクルーゾーに振りまわされながらも優しい目でクルーゾー警部をバックアップ。殺しても絶対死なないクルーゾー警部を長年の宿敵としているドレフュス警視(出世していた)をケヴィン・クラインが演じていてが、こちらはハーバート・ロムの方が良かったなあ。印象に残ったのはドレフィス警視の秘書ニコールで彼女はクルーゾーの良き理解者であり、クルーゾーと彼の被害者とも言える人たちの大騒動の中でトボケた味わいを出していてエミリー・モーティマーという女優に好感が持てた。ピンクパンサーという高価なダイヤモンド盗難事件を見事に解決するのは、やはり今回もクルーゾーだった。 |
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●アビエイター ケイト・ブランシェットが演じる往年の名女優キャサリン・ヘプバーンが素晴らしい。ヘプバーンさん、本当にあんなしゃべり方だったのかと思うとちょっと吹き出すが、ケイト・ブランシェットはかなりヘプバーンを研究したそうだから本当だったのだろう。まるで宝塚歌劇の男役がしゃべっているようなあの口調なのだ。あはは。とっても素敵だ。ディカプリオの演技はこれまでで最高だと思う。映画後半、病状が進んで内面の葛藤を演じている場面は観ていて辛いほど痛々しい。デ・ニーロが「レイジング・ブル」で演じたジェイク・ラモッタとダブってみえた。ジュード・ロウ、言われなければ誰も気がつかないと思う。冒険と女と酒と喧嘩で生涯を終えたエロール・フリンを嬉々として演じていた(ワンシーンだけど)。ディカプリオ演じるハワード・ヒューズは18歳で父親の経営する大企業を継ぐと単身ハリウッドへ乗り込み、良い意味でも悪い意味でも世間の度肝を抜くような大胆な映画を次々と製作、いっぽうでは生来の飛行機好きが高じて最先端を行く飛行機を開発、自ら操縦し世界新を達成。まさにあの時代が生んだ寵児だった。ヒューズは数々の奇癖や奇行でも有名だが、これは強迫神経症というれっきとした病気でヒューズが治療を受けたのかは分からないけれど年齢が進むにつれて重傷化していったようだ。この映画では強迫神経症と呼ばれる病気がどんなものなのか、見ている方まで手を洗いたくなってくるくらい子細に描いている。意外な拾いモノはヒューズのライバル、当時航空機会社第2位のパンナム社の社長を演じたアレック・ボールドウィンが良かった。太く貫録のある声と余裕しゃくしゃくの演技はディカプリオを食ってさえいたように思う。 |
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●真珠の耳飾りの少女 今、注目株のスカーレット・ヨハンソンが17世紀に生きたオランダの有名な画家フェルメールの作品「真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの女)のモデルをそっくりに演じる。ヨハネス・フェルメールは19世紀後半に再評価されるまで殆ど知られておらず、これまで確認されている作品も三十数点と42才の生涯という当時としても若い死亡年齢を考えても寡作な画家だったといえる。映画ではフェルメールの生きた17世紀のオランダの風景や街並みを再現した映像が画家の画風に似てとても美しい。フェルメール役のコリン・ファースは長髪に無精髭?という出で立ちで何だかロード・オブ・ザ・リングのショーン・ビーンみたいな顔に見える。生真面目でシャレの通じない雰囲気はコリン・ファースなんだけど・・。彼が主役なのに脇役のような佇まいを感じさせているのは監督の狙いなのかな。対して画家のモデルを演じたスカーレット・ヨハンソンは微妙な表情の演技が静かな画面と溶け合って見事。ちょっと17世紀の娘にしてはグラマラスかなとは思ったけど^^; 召使いのおばさんも立派な体型だからこれはお国柄の違いなんでしょうねえ。 |
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●グッバイ、レーニン 音楽が「アメリ」の人なんですね。冒頭のノスタルジックな場面展開とシンプルなピアノ曲はアメリを思い出しました。舞台は90年に消滅した東ドイツの首都、東ベルリン。アレックスの母親は熱心な社会主義心棒者で青少年の育成に情熱を注いでいたが、ある日意識を失い昏睡状態に陥ってしまう。彼女が眠っている間に東ドイツは大きく変化していく。社会主義体制によって抑圧されてきた人びとの感情は少しずつ国家にほころびを増やし、繕うことも不可能なまでに大きく広がっていました。1989年、28年に渡って東西ドイツを分け隔ててきた全長45kmの”ベルリンの壁”が崩壊。資本主義の波が一気に押し寄せてきます。どこもかしこも似たり寄ったりの風景に人間本来の個性とありとあらゆる欲望がカラフルな色を伴って町を覆います。アレックスの母親はそのことにも気づかず眠ったままだったが、ある日ふとしたきっかけで目を覚ます。アレックスは母親が現実を直視してショックを受け今度は本当に死んでしまってはいけないと思い、東ドイツの消滅をなかったことにしようと躍起になります。アレックス役の俳優は初めて見たのだけど母親のために奔走する青年をひたむきさと素直さが出た演技で好感が持てます。どことなくデニス・クエイドの若い頃を彷彿とさせますね。息子アレックスはアパートの部屋を母親が住んでいた当時のままに戻し、友だちをニュースキャスターに仕立てて演技をさせ、ビデオに収録。退院しても歩けない母親は住みなれたアパートの一室に戻ってきて何も知らないままテレビから流れるニセのニュースを見ます。母親が回復していくにつれてアレックスの隠蔽工作は度を外していく。何もかも(都合の悪いものは)母親から隠そうと躍起になる様は社会主義国家の上層部を揶揄しています。こういう面を皮肉にならずにユーモラスに見せるところ監督の手腕を感じました。母親役の女優が旧体制と新体制でまるで違う雰囲気を漂わせていたのも印象的でした。同じ民族でありながらかつては、いがみ合っていた二つの国。統一がなされて10余年、やっと一つの国としての視点で物語を語れるようになったのでしょうか。 |
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●フリーダ メキシコの女流画家、フリーダ・カーロについてはよく知らなかったが彼女の描いた自画像は”眉毛がつながった女の人”のイメージが強烈で、子供の頃にTVか何かで見たのをずっと覚えていた。20世紀初頭のメキシコに生まれたフリーダは6歳の時に患った小児麻痺(右足麻痺)と18歳の時に交通事故で鉄パイプが腹部から子宮を貫通するという瀕死の重畳に見舞われ、以後絶え間ない後遺症の痛みと健康障害、生涯30数回に及ぶ手術、加えて精神的苦痛に呵まれながら、カンバスを自身の鏡として、生きることの苦悩と情熱にあふれた作品を描き出していった。47年の生涯で成人してからのフリーダと人生を共にしたのは二十歳年上の有名な壁画画家のディエゴ・リベラだった。彼は巨漢で風采の上がらない男だったが女性にはもてた。ディエゴは浮気癖があり、絶えずフリーダを悩ませる(ディエゴはフリーダの妹とも関係を持った。10年間も情事を続けていたことが知れフリーダは離婚を決意するも後に復縁)が、フリーダはディエゴを熱狂的なまでに愛し続けた。ディエゴの大らかで全てを包み込むような包容力は生涯20数回も全身を包むコルセットに縛り付けられていたというフリーダの押さえきれない激情までも優しくすくい取ってくれたのかも知れない。映画「フリーダ」ではフリーダ役をサルマ・ハエックが見事に演じきっている。まるでフリーダ・カーロが乗り移ったかのような演技だ。ディエゴ・リベラ役のアルフレッド・モリナも見事。ディエゴの人間的にはダメダメでも持って生まれた芸術の才と他人から手放しで好かれる魅力(特に女性に)をあますところなく表現していた。これぞ映画! |
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●アイ,ロボット ロボットは賢く造らない方が良い。「アイ,ロボット」に登場するロボットたちは生真面目過ぎるのだ。車のハンドルに遊びが必要なようにロボットにも多少の柔軟性が必要だと思う。2035年のシカゴはどこか1975年を漂わせている。主役のウィル・スミスが聴いているのはディスコサウンドだし、街はソウルフルに熱っぽくそして褪せている、まるで70年代の刑事ドラマを見ているような風景。この風景の雑踏の中を当り前のように通り過ぎるロボットたち。彼らはペットの散歩やゴミ処理など人間のめんどうな雑用をこなしていた。ウィル・スミス演じる刑事のデルは大のロボット嫌い。そんな彼が追っている事件はこともあろうにロボット産業の雄、巨大企業ロボテックス社で起きた殺人事件だった。殺されたのはジェームズ・クロムウェル扮するロボット工学の博士で、冒頭から長身のジェームズ・クロムウェルが登場するだけでそこは陰謀の香りがぷんぷんとするのである。ロボテックス社の新型ロボットNS-5。人間の何十倍もの腕力を持ち何十倍もの跳躍力を見せる。そして人間と同等かそれ以上の知能も有している(少なくとも私よりは遙かに利口だ)。果たして家庭内ロボット(お手伝いさん)にそこまでの機能が必要か、実は戦場の兵士として使うのが目的なのではと勘ぐるがそうではないらしい(まあ、戦闘マシンとしても十分使えるし、企業の裏に国家有りでこの未来社会では兵士のロボット化が進んでいるのだろう)。刑事のデルは博士を殺したのは同室にいたNS-5のサニーではないかと疑いの目を向け、サニーの取り調べを開始する。アイザック・アシモフのロボット三原則が完ぺきかどうかは置いて、2035年のロボットはこのロボット三原則に基づいて設計されている。そもそもロボットが人間に危害を加えたりすることはあり得ないのである。刑事デルはそれでも疑いの目をサニーから逸らさない。この映画、観る前は単に娯楽大作だと思っていたが、かなり暗い。笑える場面もなく、淡々と近未来の日常が描かれている。ウィル・スミスは黒人(マイノリティ)と白人社会の歪みをロボット(彼らは真っ白だ)と人間の共存に重ね合わせるかの如く、ところどころで問題定義を忘れない。もちろん予告編で大々的に宣伝されたアクションは十二分に楽しめる。ウィル・スミスも水を得た魚のごとき生き生きとど派手なアクションを演じている。ウィル・スミスが乗る2035年のアウディも格好いい〜(果たして刑事がこんな高級車に乗れるのか)。そういえばポリスカーもアウディだったなー。この映画に合わせるかのように新型アウディの発表もあったし、石原プロじゃないんだから…とちょっと突っ込みいれたくなりました。 |
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●ラブ・アクチュアリー ビル・ナイがやっぱりこれかみたいな役柄で登場。映画「スティル・クレイジー」を観た人なら分かりますよね〜(知らない人は「だれ、この鄙びたジジイは」と白けたのでは・・)。音声解説でヒュー・グラントがコリン・ファースのことをやたら貶していたが二人の間に何かあったのかと思ったら、「ブリジット・ジョーンズの日記」でも共演してたんですな。なるほど〜。これは悪友みたいな関係なのか。それにしても大人げないですな〜グラントさん(音声解説にはコリン・ファースは登場せず)。映画はラブ・コメディのオムニバス的内容で”愛”という人類史上普遍のテーマをイギリスに暮らす、ごく普通の人々から英国首相はてはアメリカ大統領まで引っ張ってきて(どう見ても首相と大統領に見えない。威厳度0)それぞれが愛の絶対性をドタバタ劇に乗せて送る。音楽の選曲も良く、映像も美しく、笑わせるツボはしっかり押さえているけれどちょっと135分は長すぎないかと思った。ヒュー・グラントのお気楽首相と秘書ナタリー(いかにもイギリス人って感じの女の子。メアリー・ポプキンみたいな)のパートはこんな奴に惚れたらあかんやんと手に汗握る。コリン・ファースとメイドの女性とのパートはしっとりとした展開で平凡なんだけど後で大円団に。私が一番好きだったのはアダルト大作映画の代役で(ミッキー・ロークやマイケル・ダグラスが出てきそうな映画)、セックスシーンを演じる二人のパートがこんな話しもありかなと思わせられ、二人の熱演が楽しかった(役者魂っ!)。愛と一口に言ってもいろんな形の愛があり、恋愛、友情、家族愛など、原作は読んでないけれど活字で読むショートストーリーとしても楽しめるのではないかと思った。オムニバスでありながら微妙に接点があり、巧みな演出にムフフとなる。Mr.ビーンのローワン・アトキンソンが小気味なスパイス役で登場。良い味だしてた。 |
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●キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 60年代前半、高校生のフランク・アバグネイルは両親の離婚をきっかけに家を出る。フランクは小切手を偽造し乱発、巧みな話術(フランクの虚言は、これはもう天与の才であって神から与えられた才能であるから嘘をつくことは真実を語ることなのだ)と人を惹きつけずにはいられない魅力的なルックスを駆使し、あるときはパンナム航空の副操縦士に、あるときは病院のエリート医師に、あるときは弁護士に成りすましアメリカはもとよりヨーロッパ中を股にかけ、フランクを追うFBIを煙に巻く。スピルバーグにしては小粒なネタだが、60年代を再現したカラフルな映像と軽妙な演出が楽しい。天才詐欺師フランクをレオナルド・ディカプリオを生き生きと演じ、フランクを執拗に追いかけ回すFBI捜査官カール・ハンラティをトム・ハンクスが主役のディカプリオを立てるかのように一歩引いて演じているところが微笑ましい。フランクの父親役のクリストファー・ウォーケンも良かった。いい加減で悪知恵の働く才能はこの父ありてこの息子ありで、DNAの強い絆を見せつける。しかし父親はフランクに対していつも優しい眼差しを送り、フランクの行いを密かに応援している。FBIを度々煙に巻いたフランクだったが、まだ17歳の少年らしく、心に焦りと戸惑いを感じ、がんじがらめになってくる。「ボクを止めさせて」という父親への言葉。FBI捜査官のカールは度々すんでの所で取り逃がしたフランクをついに追いつめる。幾度も煮え湯を飲まされたカールにとって、フランクは憎むべき相手の筈がいつしか父親的な愛情が芽生えている。フランクが捕らわれた後、カールはずっと不思議に思っていた質問をする。「フランク、一体どうやって弁護士試験を通ったんだ?」。原作は現在FBIで詐欺事件のアドバイザーとして活躍する本編の主人公フランク・アバグネイルの同名自叙伝。私はこの本を読んでいないので、いったいどこまでが真実だったのかよく分からないのだけれど(かなり脚色しているような気がする)。一人の少年に巨大組織が翻弄される様子は見ていて痛快。彼は誰も傷つけることなく、大犯罪をやってのけた。格好いいパイロットになって女の子にもてたい、そして大好きな父親に車を買ってあげたいと思ったのがそもそものきっかけだったのだから。 |
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●クリクリのいた夏 ひとりの年老いた女性が、気持ちの良い天気のある日、少女時代の懐かしい日々を回想している。それはナチスが政権を握る直前、おそらく1930年代初頭のフランスの片田舎。クリクリと呼ばれた少女は当時5歳で彼女の家族は決して豊かではなかったけれど、気候に恵まれたふくよかな土地で気のおけない数少ない友人たちに囲まれて暮らしていた。気が弱くワインに目のない父親リトン、生活力のないリトンに半ば諦観し、鬱憤のはけ口もなくいつもいらいらしている母親、そして父親リトンの無二の友人、ガリス(たまたまリトン家の隣人で、リトンと仲良くなった)。ガリスは第一次世界大戦へ出兵し疲弊しきって帰ってきたものの、特に目的もなくその日暮しの生活を送っている。”沼地”と呼ばれる、町はずれの貧相な場所で生活するガリスの廻りには、クリクリの父親リトンだけでなく、いろんな階級の人たちが、まるで忘れ去った何かを思いだしたかのように集まってくる。大富豪までのし上がったぺぺはかつて”沼地”に住んでいた貧乏時代を懐かしむようにガリスの元を訪れ、音楽と本を愛するアメデもまた町で裕福な暮らしを送っているが、豊かな自然の中で気ままに生きているガリスに惹かれ、いつしか親交を結ぶのだった。彼らは、カエル取りに興じたり、池で釣った魚でささやかなパーティを楽しむ。ワインと音楽、詩の一節、楽しい会話、笑顔…、クリクリはつましい家庭の中で、おっかない母親に頭の上がらないリトンや友人たちに可愛がられ楽しい日々を過ごす。そして、クリクリにも初恋と呼べる男の子との出会いがあった。懐かしいあの頃、誰もが頭の片隅に眠っている場所。年月は過ぎ、老いた順に人は死んでいく。思い出を残して…。木漏れ日の揺らめくような一瞬一瞬を思い出し、皺だらけの顔をほころばせて深呼吸、幸せに包まれたクリクリの表情が素晴らしいラストを飾る。 |
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●永遠のマリア・カラス 20世紀最高のソプラノ歌手、マリア・カラスの最晩年(享年54)を彼女と交友のあったフランコ・ゼフィレッリ監督が愛情を込めて、あくまでもフィクションとして描いた作品。1977年、絶頂期の美しい声を失ったマリア・カラスはメイドとパリのアパートメントで隠遁生活を送っていた。そんな彼女の前に現れたのはかつての仕事仲間である音楽プロモーターのラリーだった。ラリーは伝説となって生きているカラスを再び観客の前に呼び戻そうと、ある企画を携えてやって来る。それは50年代、歌姫として絶頂にあった頃の彼女の歌声を、現在のカラスが口パクで動かした唇の動きにかぶせて録音し、オペラ映画を製作するというものだった。最初は突飛な企画に躊躇したカラスだったが、レコーディングを始めた途端、自信を失い干からびた少女のようだったカラスが、みるみるディーヴァのごとく往年の輝きを取り戻し始める。カラスを演じるファニー・アルダンはまるで本物のマリア・カラスが乗りうつったかのような、圧倒的な演技を見せる。ゼフィレッリ監督がインタビューで語っているようにファニー・アルダンなくしてはこの映画は誕生しなかったというの頷けるほどのハマリ役だ。 |
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●トランスポーター 惜しい〜っ!前半はジェイソン・ステイサムの魅力を生かした痛快なアクションムービーだったのに、スー・チーという中国人女優が出てきた途端にこの映画、鶴瓶落としの如くつまらなくなった。あの盛りのついた猫みたいにミャーミャー叫ぶ女の子をどうして出したんだろう・・。彼女のおかげで途中で見るのを止めたが、前半は抜群に面白い。南仏、改造ベンツを駆って依頼人の仕事をクールにそしてユーモラスなほど几帳面にこなすプロの運び屋フランク(爆走するベンツと追走するパトカーのチェイスはTaxiの二番煎じだな〜と思ったら、プロデューサーがリュック・ベンソン印だったんですね〜なるほど)は依頼主からの依頼品は何があっても見ないという自らのルールをふとした弾みで破ってしまい、ベンツのトランクに入った大きなバッグ(大抵は処分してほしい人間が入ってる)を開けてしまう。バッグの中には手足を縛られたライという女の子が入っていた。フランクは元々気の優しい奴だったのだろう、依頼品のライにジュースを買ってやったりオシッコをさせたりいつの間にか世話を焼いている。ライは隙を狙って逃げ出すが、さっさとフランクに捕まりキャーキャー叫びながらフランクの家に連れて行かれる。フランクを殺そうと彼の家に銃弾やロケット砲を雨あられのように浴びせた敵が去ると、間一髪で助かった二人は家の無傷で残った部屋の中で服を脱ぎ求め合う・・ブチっ。う〜ん( ̄ー ̄)。まあ、良いんだけどねえ〜。やっぱりゆるいなあ・・。なんでこうなるねんと。何度も書いたが前半のノリの良さ(巧みな音楽の演出、スピーディーなカーアクション、そして女性を痺れさせるジェイソン・スティサムの渋い声、プッと笑える所作の数々…)は理屈抜きで楽しめることを請け合います。 |
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●Bモンキー ラドフォード監督の「ブルー・イグアナの夜」が素晴らしい出来だったので(遅ればせながらWOWOWで見ました)同監督の最高傑作との誉れ高い「イル・ポスティーノ」と「Bモンキー」をレンタルした。「イル・ポスティーノ」は評判通りの出来で見終った後に静かな感動の余韻を味わえる映画だった。この映画の公開直後に主人公を演じたマッシモ・トローイジが亡くなったと知り、あのやつれた表情は病気によるものだったのかと少しショックを受けた。「Bモンキー」は一転して破滅的な生き方をしてきた女性が一人の教師と知り合い人生をやり直そうとする、愛と暴力に満ちたストーリー。主役を演じるのはアーシア・アルジェントで彼女は某サイトで知ってから、ずっと気になっていた女優だった。アーシアは役柄上濃い目のメイクだったけど、わたし好みのしなやかなスタイルの美人だった。彼女の他の作品も見たくなったなあ。この映画でもう一人の主人公とも言える人物、アーシアと恋に落ちる教師役のジャレッド・ハリスだが彼も繊細さと力強さを合わせ持った俳優で存在感のある演技を見せてくれる。ジャレッド・ハリスは元ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーが1976年にNYのダコタアパートで再会する作品。「ザ・ビートルズ 1976ダコタハウスにて」でジョン・レノンをそっくり(顔は似てなかったが仕草や言葉遣いを見事に真似ていた)に演じていたので覚えていた。データベースを見ると何と!名優リチャード・ハリスの息子だったですね〜。驚きっ!。アーシア・アルジェント扮するベアトリスは暴力と犯罪の垢にまみれた自分の生き方を教師アランとの出会いによって見つめ直そうとする。ふたりはある事件をきっかけに住み慣れたロンドンから田舎へ逃亡し束の間平穏な生活を楽しむ。だがかつての仲間たちはベアトリスの後を執拗に追いかけ回す。平凡な人生を歩んできた教師アランはベアトリスを守るために全てを捨てることが出来るのか・・。ジャレッド・ハリスの射抜くような眼差しが熱い! |
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●呪恐 恐がりの怖い物好きなので、心霊写真の番組や除霊(霊能力者のおばさんが拝むと「堪忍して〜」と真面目そうなおっちゃんが泣き叫びのたうち回るジャンル)特集の番組が大好きだ。心霊写真て何で死んだ人間が服着て写ってるねん、あの世にユニクロあるのんか!とか突っ込みいれながらも(関係ないがユニクロのネットショッピングは使える!どこぞの地縛霊には自爆ポイントがつくらしい。嘘。しかし1000円のシャツを買うのに送料500円はちと痛い)気がつけば部屋に明かりを煌々と灯して膝頭を抱えているわたしだ。「呪恐」はオフ会の仲間が「あれは怖い、見てはいけない、絶対見たくない、予告編だけで十分」、朝、鏡を見たら”呪恐”より怖い顔が目の前にいたなどと話題になったので、わたしもついつい「呪恐」のCMを見てあのカリカリカリという霊の音に心臓がささくれ立つ思いがしたものだ。心底辛い幼児体験の記憶はトラウマを抱え込まないように脳が消去してくれるとどこかの学者が「父さんの馬鹿野郎!」と泣き叫びながら唱えていたが、わたしも小さい頃に「それは秘密です」という番組で紹介された幽霊の絵を見てあまりのリアルで恐ろしい表情に震え上がり(ゲストや会場の観客が一様にどよめいた程恐ろしい絵だった。若い歌手は泣いていた)、それから数年間は寝る前にふと思い出したりしてどうしようもなく怖く布団の中で震えていたが、不思議なことに今ではすっかりその幽霊の絵を忘れてしまっている。終戦直後に戦地から引き揚げてきた男性がホテルの部屋で寝ていたら、深夜、異様な雰囲気に包まれ、ふっとベッドから起きあがって足下を見れば、そこにその恐ろしい形相の幽霊とも化け物ともつかぬ何物かがベッドの隙間から顔をにょろりと出し男性を睨みつけていたいう逸話は覚えているのだが…。さて、見ないでおこうと心に決めた「呪恐」だがWOWOWで放送したのと某店長の掲示版で話題になっていたのと怖いモノ見たさで録画してついに見てしまった。連絡の途絶えた老婆を見舞うため介護ヘルパーの女性が家を訪問する。そこで彼女が見たものは、廃屋のように荒れ果てた部屋、何とも言い難いすえた異臭、何物かの気配、そしてあの音、白塗りの子供…。この家に一体何があったのか。ストーリーは単純明快で音と気配で怖がらせている映画だったが、自然光の入らない狭い密室や廊下の蛍光灯の明かりが届かない影の部分にひっそりと何かが蠕いている味わいは日本ならではの感覚。いつもなら何ともないのに部屋のあちこちの隙間から息づかいが聞こえてきそうな雰囲気が堪らない。恐怖の絶頂でいきなり警察が出てきて現実に引き戻されホッとするのも束の間彼らもまた…、結局、この幽霊の犠牲者たちは観客に恐怖を与えるきっかけに過ぎないと理解しつつもやはり怖い。深夜、トイレのドアを開けると誰かが座っていませんか? |
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●バースデイ・ガール ニコール・キッドマン主演の古い映画かと思ったら2002年公開の映画だった。冒頭主人公であるイギリス人青年ジョンがネットで結婚相手を探すシーンは随分前に映画情報番組で見たな〜と思い出したけど、TVの予告編も含めてこの映画のことはまったく記憶にないのでした。平凡で真面目な銀行員ジョンは「ロシアより愛をこめて」という結婚紹介サイトでロシア人女性ナディアと知り合う。ニコール・キッドマンがナディアを演じているがロシア人女性になりきっていて面白い(目元が不健康に濃いメイクとか)。英語の出来ないナディアとロシア語の出来ないジョンは互いの習慣の違いに戸惑いながらも少しずつ理解し合い新しい生活を始めるが、ナディアの誕生日に彼女の友人と称して二人の男がジョンの家を訪れる。お気楽なラブコメディに見せておいて、実は…ジョンは人生最大の災難に巻き込まれていく。この映画、面白いのはロシア人をオーストラリア出身のニコール・キッドマンと何故かフランス俳優ヴァンサン・カッセル、マチュー・カソヴィッツが演じているところがヘン。ラブコメとサスペンスをごっちゃにしたようなストーリーはまあまあ面白いけれど、後半が盛り上がりに欠け、場当たり的なアイデアで収めているのが残念。イギリス人とロシア人の風習の違いを生かしたチャーミングなラブコメにすれば良かった。 |
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●スズメバチ 「TAXI」のサミー・ナセリが出ているのでコミカルな映画かと思ったが、密室空間で繰り広げられるバイオレンス・アクションだった。 マフィアの親分を護送する特殊警察の女性中尉、5人組みの窃盗団、巨大倉庫の警備員?、そして親分を取り戻そうとするマフィアの襲撃部隊が巨大倉庫で壮絶な銃撃戦を展開。 雨あられのように乱れ飛ぶ弾丸、タイトルのスズメバチを想わせるのは殺っても殺っても、うじゃうじゃと倉庫内へ湧き出してくる襲撃部隊のこと? 彼らは暗視マスクを装着しているので表情が見えず不気味だ。 サミー・ナセリの演技は大げさだけれど、顔のパーツがでかいのでスクリーンでは絵になる。死にかけた時に目を見開いて「寒い」だの「怖い」だの言いながらなかなか死なない演出はいい加減飽きたな〜。映画としてはスピーディな展開が仇となって登場人物の設定がちょっとわかりづらかった。まあ、この手の映画はドンパチやる緊迫感を味わえれば良いのだ。その点では大満足の映画だった。 |
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●愛してる、愛してない 「アメリ」で一躍脚光を浴びたオドレィ・トトゥが主演。予告編だけを見ると「アメリ」の続編のようだが、ストーリーは相当ブラックな味わい。オドレィ・トトゥ演じるアンジェリクはハンサムな心臓外科医ロイックとのちょっとした出会いから恋愛妄想が膨らみ、ロイックを追いかけ回す女の子の役。前半はあたかもアンジェリクとロイックが恋愛しているように見せているのが巧い。そこだけ見ればアンジェリクの失恋物語、そして妻のあるロイックへの復讐劇なのかと思ってしまう。後半の始まり、画面は冒頭まで巻き戻される。そこからストーリーの異常な輪郭が見えてくる。 オドレィ・トトゥの黒目がちな思いつめた目と笑うとおばあちゃんの顔になる笑顔が怖い。彼女はこれから普通の役を演じられるのか心配になってしまうが、フィルモグラフィーを見ると「アメリ」以降、映画に出まくっているので安心した。女性が好みそうなお洒落な色合いと陽気な音楽はアンジェリクが舞台を去るラストシーンまで変わらない。そして最後に流れる短い詩が効いている。 |
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●インソムニア ノルウェーの同タイトル作をハリウッドがリメイク。最近、世界中からヒット作を買い漁っているな〜。舞台はノルウェーから米国アラスカ州へ変更されている。白夜の小さな町で起きた殺人事件を解決するためにロス警察から派遣された辣腕刑事ウィルをアル・パチーノが、小説家の犯人ウォルターをロビン・ウィリアムズが演じているが、注目はこれまで善人ばかりを演じてきたウィリアムズの犯人役。善と悪は表裏一体を感じさせる、とても暗く憂鬱な人物を見事に演じている。というか、ロビン・ウィリアムズって本質的に暗い性格なのかも知れない。冒頭はハリウッド映画にありがちなヒーロー的存在の刑事ウィルがてきぱきと捜査の指示を出していき、部下たちもまた決められたチェスの駒のように動き出すので、これはオリジナルの頭痛を起こさせるような鬱陶しい雰囲気は味わえないのかなと思っていたが、ウィルが捜査中に誤って同僚を射殺するところから、じわじわと傷口が広がるように気持ち悪さが増してくる。アル・パチーノは普段からやつれた顔つきだが、白夜のせいで不眠症になり(これは怖い!真夜中でも外は太陽の光が燦々と降りそそいでいるなんて!)苦い胃液が戻ってきそうな、全身が麻痺したような倦怠感を迫真の演技で演じ、見ているこっちまで気分が悪くなってくる。ラストあたりでは連続6日も寝ていないので、黒目と白目がぐりぐり回り、口は呆けたように半開き、どうにか肩の上に乗っかっている首も壊れた人形のように前にがくり後ろにがくりと壮絶な有様だ。最初は英雄視していた部下たちもウィルのふがいなさに呆れ軽口を叩いたりする。「白夜のせいで眠れないようだな。もっとも冬になると、辺り一面ブラックホールになるけどな」なんて言う。部下たちはウィルが同僚を殺したことに気づいてないが、ヒラリー・スワンク演じるエリーはウィルの行動に疑問を持ち単独で調査を始める。やがてウィルが殺人事件の犯人を突きとめたころ、エリーはウィルの嘘をついに見破るのだった。 |
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